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釧路地方裁判所帯広支部 昭和34年(わ)4号 判決

判決

農業

佐藤二郎

右の者に対する殺人被告事件について、当裁判所は検察官田中悟出席のうえ審理を遂げ、次のとおりに判決する。

主文

被告人を懲役四年に処する。

未決勾留日数中百八十日を右本刑に算入する。

押収にかかる手鉞(昭和三四年押第九号の一)はこれを没収する。訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和二十八年十月頃、妻と死別し、以後菅原みよしと同棲し、昭和三十三年十月二十二日頃別居したものであるところ、田口盛太郎、斉藤兵吾等の口添えによつてアキョこと坂本一見(大正元年十月十八日生)を後妻として迎えることとなり、同年十二月二十三日午後六時頃から、当時被告人の別宅であつた肩書住居において、結婚式を挙げたが、同夜床入の直後、同女から、被告人の陰茎が、並はずれて大きく、同女と満足な性交ができない旨の甚だ意外な理由から離別を迫られて深い恥辱を受けたため早くも夫婦間に不和を生じ、翌二十四日早朝から、前記斉藤、田口において説得につとめたものの、同女はたやすくこれに応じない儘帯広市に赴き、同日夕刻帰宅して、被告人に対し、医師谷藤二郎作成の診断書(昭和三四年押第九号の九)を示した上、自分の身体には何等別状なく、今後身体に異常が生じた場合はすべて被告人の責任である旨申し渡して、午後七時頃、被告人と床を別にして就寝した。ところが同女が就寝後も二回にわたり被告人の枕元に来て、再び離別を求め、手切金として五十万円を要求し、これに応じなければ被告人の財産を全部とる等と申し向け、確答が得られなかつたため、ついに立腹して被告人は再度にわたる法外な要求に憤慨し、眠られないままに、同日午後十一時頃から、自宅茶の間において二級合成酒六合を冷酒のまま飲むうち、酔のまわるとともに同女に対する忿懣の情がつのり、かつ同女が金銭を目的に自分と結婚したのではないかとの疑念をさえ抱くに至り、同女を威嚇してその我儘をたしなめるべく裏口から手鉞(前同号の一)を持ち出し、翌二十五日午前一時頃、自宅奥六畳の間に到り、就寝中の同女を呼び起こしたうえ、山に行くために朝早く起きて弁当を作るよう頼んだところ、同女からすげなく断られ、更に威嚇的な言葉をもつて脅したにもかかわらず、予期に反し、同女が態度を改めないばかりか、かえつて「私は唯の女ではない」といつて反抗するそぶりを示して起き上ろうとしたので、ここに被告人は、同女に対する積憤の情を爆発させ、同女が死に致るかもしれないことを認識しながら、敢えて前記手鉞の背部をもつて、同女の顔面、頭部を十回位強く殴打し、よつて同女をして右頭頂骨上部の頭蓋骨破裂陥没等の創傷に基く、硬脳膜下大出血のためその場で間もなく死亡するに致らしめて殺害したものであそ。

なお、被告人は右犯行当時心神耗弱の状態にあつたものであり、且つ、本件犯行は自首にかかるものである。

(証拠の標目省略)

(弁護人の主張に対する判断)

第一、心神喪失の主張

一、弁護人は、被告人は本件犯行当時酩酊朦朧状態にあつたものであり、従つて心神喪失の状態にあつたというべきであり、よつて被告人には刑事責任能力がなく無罪である旨主張する。鑑定人中川秀三の鑑定書(以下単に中川書と略称する)の鑑定主文によれば、「被告人は昭和三十三年十二月二十五日午前一時頃の精神状態には異常があつた。当時強度の酩酊状態にあり、病的酩酊ことに酩酊性朦朧状態にあつたと推定される」旨の記載があり、右弁護人の主張にそう鑑定がなされている。そこでこの中川書の鑑定結果の是非について判断することにする。

右中川書が被告人の犯行当時の精神障碍の程度を判断する有力な基礎としている点は、被告人はその当時病的酩酊の状態にあつたということであり、その結果前叙のような酪酊性朦朧の状態が導かれたというにある。故に当時被告人は病的酪酊の状態にあつたかどうかが吟味されねばならない。

中川書によれば病的酪酊とは

「(1)飲酒量に関係なく妄想や幻覚が発生したり、或いは動機不明な爆発的憤怒、興奮や動機に一致しない極端な異常行為をした場合

(2) 酪酊によつて人格が一変し、剌戟的邪推的或いは極端に誇大的になり、正常時のその人の人間からみて考えられない様な異常行為をする場合である。所謂酒癖の悪い人間はこの型である。

(3) 酪酊性朦朧状態というべき状態である。一定の酒量によつて強い意識混濁を呈しているに拘らず、身体的麻痺が少い為に数時間の徘徊や異常行為をなし一応正常の如く応答し、その間の事象を完全に追想できない場合である。」の諸条件をその特徴とする旨説明されているが、なお中川書は別の個所で、病的酪酊と重症酪酊との区別について述べ、後者については心神耗弱程度であるとし、その場合とは「入眠近くの短時間の記憶の障碍が強度である場合と考える事が妥当である。」とするのに対して、病的酪酊についてはグルーレ(Hans W. Gruhle)の「(1)酪酊者に通常みられる上機嫌がなくて不機嫌がある。(2)運動性興奮えの傾向があり、激昂や憤怒から容易に暴力行為に発散される。(3)その行為に動機がない。たとえば未知の者に対する暴行他人の物の破壊など。(4)完全な健忘そして同時に酒精耐性低下があることが多い。」とする定義を引用している。このグルーレの定義による諸条件は、前掲中川書自体の病的酩酊の特徴と本質的に一致しており、前掲の中川書自体の定義はグルーレの定義をさらに具体的に説明を加えたものといえる。中川書では病的酩酊を右のように定義し、この定義に従つて被告人の諸徴候を診断し、その結果被告人は本件犯行当時病的酩酊の精神状態にあり、その故に酩酊性朦朧状態にあつたと鑑定しているのである。

これに対して鑑定人竹山恒寿の鑑定書(以下単に竹山書と略称する)によれば、病的酩酊について「酩酊間に剌戟性の異常気分が急におこつてきて粗暴行為を発し、意識障碍がふかいために覚醒後行為の想起が充分できず、或いは全く忘却しているようなとき、これを病的酩酊と称しがちであると批判しており、一方プロイラーの「病的酩酊とはアルコールにより突然誘発された興奮状態あるいは朦朧状態で事態了解不能であり、しばしば錯覚、幻覚、憤怒性感動、苦悶を伴う。」旨の定義や、グルーレの「その行為に動機がない」とのその前掲の第三条件や、またはホツへの「病的酩酊とは異常な精神状態が開発されるもので、ふつうの酩酊の度がすすんだものではない。」旨の定義を引用した上、竹山書は病的酩酊について、「単に剌戟性異常気分があつて暴発するというばかりでなく、幻覚や妄想が存在するもの、無目的無差別の躁暴状を発したもの、激越性苦悶を呈して自傷、自殺行為に至るもの、酩酊間に痙れん発作を発したもの等、真に精神病概念に該当し得るものだけを病的酩酊とする。」と定義を定め、この定義に基いて被告人の諸徴候を診断し、その結果被告人は本件犯行当時酩酊のため著しい事理弁別の能力の低下はあつたが、それは病的酩酊によるものではないとの鑑定をしている。

しかしてこの竹山書による病的酩酊の定義は、中川書の定義に比較して一致する点とそうでない点があるようにみえるが、要するに竹山書では病的酩酊を精神病の一種と厳格に解し、その現象に精神病にみられるのと同一質の現象が存在しなければならないことを要求しているのであつて、そのため酩酊間の異常気分の急醸による粗暴行為をなし、意識障碍のため覚醒後その行為の追想が不完全または不能であるだけではたらず、さらに無目的無差別の躁暴状を発することをその重要な条件とすべきことを強調しているものと解されるのである。竹山書が並列的にその要件として掲げるその他の精神現象ないしその障碍については、後記の点を除いて被告人に本件犯行当時そのような精神上の障碍はなかつたことについて、竹山書および中川書はいづれも認めていることなので、論外におくことができる。そうだとすると、竹山書による病的酩酊の定義も被告人を対象とする場合、前掲の強調する点(これとてもグルーレの第三条件として中川書も要件の一つとしている)が質的にやや高度であるという以外その定義自体は中川書と異るところはないと解するのが相当である。そうだとするならば右定義に従い被告人の示す具体的な諸徴候が果してその要件を充足するものであるかどうかが問題とされなければならない。

二、そこで中川書において被告人を病的酩酊と診断した各現象を検討する。

中川書では被告人の諸徴候を次のように集約しているので各項について論ずることにする。

(1) 被告人は生来短腹で爆発性性向があつたこと(中川書第五章四(1))

被告人がこのような性向を有することは両鑑定書からも窺われる。だがこれは単なる性格であつて異常性格ではない。またその性向が通常人の性格と異質なものまたは精神病質人格であるとの説明はなんらなされていない。竹山書によれば被告人はかえつてそのような異常な性格または精神病者ではないことが診断されている。従つてこのことは単に被告人の強烈な性格の一面というにすぎず、このことをもつて病的酩酊の一条件とするにはあたらない。

(2) 被告人は今迄屡々病的酩酊状態を呈し、部落で酒癖悪い事で通つていたこと(同(2))

被告人が右後段にいう「酒癖が悪い男」であつたことは両鑑定書とも認めているところである。しかし右前段にいう「今迄屡々病的酩酊状態を呈し」たことについては、中川書はその鑑定書中なんら事実の認定もそれに対する病的酩酊についての前掲四条件(これは右鑑定書自体において主唱するものであるにかかわらず)の適用もなしていない。ただ中川書第四章五に「所が面白くない事があると日に二回位深酒をする事があり、その時に人間が一変し、病的酩酊を呈し、色々な事件を起している」として、七年前の佐藤某の妻女に対する暴行未遂と菅原みよしに対する暴行とを掲げているのであるが、菅原に対する場合は後に論ずるとして、右暴行未遂にせよ、竹山書がかかげるその他の暴行事件(村の役員に対するもの)にせよ、竹山書が説明しているように、「いつも理由があつて暴発したのであり、しかも行為の経過を大体おぼえているのが常だつた。こうした酩酊を病的なものと考えることはできない」(同書説明ならびに考察(三))というべきである。このことは両鑑定書が認めているところの被告人が近年来慢性酒精中毒となつていたことを考慮に入れても右認定は異ることはない。なお「酒癖が悪い」旨の証言ならびに供述は当裁判所が取調べた各証拠からも多く見受けられるのであるが、各供述者が被告人が病的にまでたかめられた異常の酩酊者であることを認識し、その認識に基いて証言または供述したものとは到底考えられず、各供述者は日常会話で使う意味で、被告人は酒癖が悪いと証言または供述したと解すべきであるから、右証言または供述の存在はなんら被告人が病的酩酊であつたことの証左とならないというべきである。従つてこのような徴候を判断に加味することは妥当を欠くといわねばならない。

(3) (イ)被告人は最近脳動脈硬化症に罹り高血圧卒中発作があり、(ロ)現在卒中後の右半身不全麻痺があり、(ハ)知能低下し、(ニ)脳の器質性変化が存在していたこと(同(3))。および(ホ)長年の焼酎飲酒で慢性酒精中毒に罹り、近年内妻に嫉妬妄想を懐いている疑いがあること(同(4))

中川書によれば(イ)、(ロ)、(ハ)、(ホ)の点は説明されているが(ニ)については説明がなく、かえつて同書第二章一の所見によれば脳の機能には異常のないことが認みられている。また(ハ)の点は、被告人の経歴ならびに竹山書の所見と対比して信用できない。だが(イ)(ロ)(ホ)の点については、竹山書はさらに詳細に論じていて、(同書説明ならびに考察(四))被告人は昭和三十三年十二月上旬から中旬にかけて、疲労感、衰弱感がひどく殆んど酒が飲めない状態であり、頭重、耳鳴、不眠、メマイ、吐気、手足の痺れ、振せん等の動脈硬化を思わせる状態にあつたこと、および(同書、説明ならびに考察(七))被告人は慢性酒精中毒に罹つており、動脈硬化を惹起し、昭和三十一年九月には脳溢血らしい発作をおこし、酒をのまないときに、人物誤認や動物錯視がおこり、アルコール中毒性の振せん、せん妄を発呈し、ことに菅原みよしに対しては、昭和三十三年二月ごろから酒精中毒者特有の嫉妬妄想を抱くにいたつた。しかしこれらのアルコール中毒性精神障碍の病的体験は、浮動的に示されただけであつて、日の常行動は他から病人扱いされる程のものでなかつた旨診断している。

両鑑定書の診断によれば以上のことは一般に病的酩酊を生ずる原因の一と解されることが認みられる。しかしだからといつてかかる状態にある者が飲酒をすれば、常に必然的に病的酩酊に陥ると断言することはできない。そのことは中川書による被告人に対する酩酊試験(同書第三章)によつて、被告人は病的酩酊の症状を呈さなかつたことによつても明らかである。(中川書によれば被告人は病的酩酊を呈する人物であるから、右必然性が存するならば右試験によつてその精神状態を発揚すべきはずである。)従つてこの徴候は、被告人が病的酩酊に陥る可能性があつたことを示唆する有力な条件とはなるが、しかしこの徴候のみをもつて本件犯行当時被告人が病的酩酊の朦朧状態にあつたと直に結果づける証拠とすることはできない。

(4) 被告人は(イ)本件犯行直前長時間の節酒後に突然大量の飲酒をした(同(5))、(ロ)犯行直前は身体異和感が強く卒中再発前の如き症状にあり臥床していたこと(同(6))。

中川書によれば(イ)(ロ)の各事実とも認みられるが、(ロ)の事実についてはすでに認定した犯罪事実に照らしても、特に重症という程のこともなかつたことが認みられる。しかしこの二個の条件を被告人に強度の酩酊状態を呈せしめた理由の一に加えることは相当であるけれども、そのことをもつて病的酩酊の条件を充足する直接の事由とすることはできない、けだし重症酩酊との差異は、本徴候からは判断できないからである。

(5) (イ)犯行時における飲酒前の被告人の心理は、結婚式後の極めて不愉快な原因で別れ話となり、坂本一見の挑戦的態度で極めて不愉快な心理状態にあつた。また本件犯行の夜二回に亘り五十万円を要求され、さらに蹴とばされたりしている。(ロ)その極めて不愉快な憤怒から大量の飲酒をしたこと(同(7))

被告人が本件犯行直前に右中川書に掲記されたような心理状態にあつたことは、すでに認定した犯罪事実から明らかである。また被告人が強度の不快感情から今まで慎んでいた酒を犯行直前に大量に飲んだことは充分に認みられるところである。このことが前掲グルーレの第二条件を充足する直接の原因になつたといえる。しかしまた同時に被告人の坂本一見に対する本件加害は、右の各種事情を直接の原因として発動されたのであるから、グルーレの第三条件たる「動機がないこと」に当らず、また無目的無差別でもなく、事態了解不能でもない。つまり、本件犯行にいたつたのは前示のように不快感情から飲酒していたが前掲認定したように、被告人は飲酒の上、なんとか一見をこらしみようとして手鉞を携えあ、一見の枕許に到り、翌朝弁当を作るように指示したのに対して、一見は冷淡な態度をとり、被告人が「命をもらう」と脅かしたのに対して、「私は唯の女でないと」反対的態度を示して、起き上ろうとしたので、不快感情が爆発して加害行為にでたものである(以上の事実はすべてすでに認定したように被告人の陳述に基くものであり、被告人は右事実を記憶し、その記憶の追想ができたものである。)から、被告人が右加害行為に至つたのには強い動機および目的があつたというべきである。中川書はこの殺意にまで昂まつた被告人の不快感情を被告人の人間性や資産から勘案して否定しているが、そのような酩酊時においてなお分別が働らくとすれば酩酊の度合が低いことの証左となり、病的であつたとするには直接の動機が厳存する。いづれにしても右中川書の診断は首肯できない。なお竹山書によれば、被告人は右飲酒してからも幻覚体験を抱かず、その後の行為にも無差別な躁暴状態や激越性の苦悶はみはみられないことが認みられる。そうだとすれば、被告人の犯行時の酩酊状態にはグルーレの第三条件を欠いていることは明らかである。(中川書には、グルーレの第一、第二、第四の各条件に該当する事実の説明はあるが、第三条件に相当する事実の説明はなんらなされていない。)

(6) 被告人は朦朧状態となつて犯行を犯したものと思われ、朦朧状態はその後三時間程続き、その間完全に近い記憶の欠損がある(同(8))

記憶の追想不能については、中川書がグルーレの定義に従つているのでまずグルーレの見解を述べる。グルーレは第四条件として掲げた「完全な健忘」とは(グルーレ「精神鑑定」中田修訳三九頁)「病的酩酊では一定の期間が記憶から切りとられたようである。暗示的質問をしても少しも解明に役に立たない(器質的健忘)」ことをいうと説明し、犯人が犯行のことを全然覚えていないが、上手に問いただしていろいろなことをきき出し得る場合は、「一つの期間の完全な忘失ではなくて、いくつかの記憶の間障があるだけである。こういうのは心因性健忘である」とし、そして「病的酩酊の証明には器質的健忘のみが重要である」(同書四〇頁)と論じている。中川書がグルーレの見解に立つている以上、記憶の欠損についてもまたグルーレの見解に立つて論ぜられるべきである。

この記憶の追想の程度については、中川書では被告人に対する問診を基本として認定し、被告人には犯行から三時間程完全な記憶の欠損があつたと論じているが、当公廷で調べた各証拠からすると、右認定は採用できない。犯行直後被告人は比較的詳しく実行行為およびその後のことを供述しているし、その供述の内容は有意味のことであつて文脈がある。その後犯行に対する供述が取調の経過とともにその記憶追想の範囲が次第に狭くなつてきているが、これは酩酊体験の記憶の追想範囲の変化であつて、普通一般にみられることであり、心因性健忘の一態容にほかならない。従つて被告人の犯行についての記憶に器質的健忘(完全な健忘)があつたとは認められない。そうだとすれば、被告人の酩酊にはグルーレの第四条件もまた存在しないといわねばならない。

三、以上(1)ないし(6)の各論述を綜合すると、中川書が前提としたグルーレの四条件のうち第三、第四の条件(第三条件は竹山書では特に強調するところである)についての認定を欠いており、従つて被告人の犯行当時の精神状態の徴候は前提たる定義のすべてを充足しないことが認められる。従つて被告人は本件犯行当時病的酩酊の状態にあつたとする中川書の鑑定の結果は採用することができない。中川書では右の原因以外の事由で、被告人が意識の朦朧状態にあつた旨のことはなんら論及していないのであるから、結局被告人には本件犯行当時心神喪失に該当する程の意識障害または精精活動の病的障害は存在しなかつたと解するのが相当である。

第二、心身耗弱の主張

被告人の犯行当時の精神状態は、事理を弁識する能力を完全に喪失していたと認めることはできないが、しかしながらすでに論述したように、被告人は慢性酒精中毒に罹つており、動脈硬化症も併発していて、メマイ、耳鳴、頭重、不眠等の症状に悩み、一人孤独を喞つていたところに久し振りで得た新婦からしかも初夜に恥辱を受け、不快な感情を抱いたもののなんとかなだめようとした努力もむなしく、ますます挑戦的に被告人が多年蓄積した財産をも奪いかねない横暴とも思える要求をつきつけられ、極度の不快感情および不安感情から慎んでいた酒を大量に飲んで、酩酊し、その挙句一見をたしなめようとして手鉞を携えて一見の枕許にいたり、前掲認定したような行動に出たところ、いよいよ反抗的な態度に出合つたため前後の見境もなく激情を爆発させて犯行に及んだものであることは充分認められるところ、右によれば、被告人は不時の大量飲酒から酩酊間に異常気分を生じ、生来の病気と、一見に対する不快感情から意識も鈍り、事理を弁別し、その弁別したところに従つて行動を抑止する能力に著しい低減があつたことが認められる。(竹山書同趣旨)。従つて被告人は犯行当時心神耗弱の状態にあつた旨の弁護人の主張は理由があるから、これを前掲のとおり採用したのである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法第百九十九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、なお被告人は本件犯行当時心神耗弱の状態にあつたものであるから同法第三十九条第二項、第六十八条第三号により法律上の減軽をなし、その刑期範囲内で被告人を懲役四年に処し、同法第二十一条により未決勾留日数中百八十日を右本刑に算入し、押収にかかる手鉞(昭和三四年押第九号の一)は本件犯行の用に供せられ、被告人以外のものに属さないから、同法第十九条第一項第二号、第二項によりこれを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により全部被告人に負担させることとして、主文のとおりに判決する。

昭和三十五年十一月十四日

釧路地方裁判所帯広支部

裁判長裁判官 井 口 牧 郎

裁判官 石 丸 俊 彦

裁判官 松 野 嘉 貞

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